不動産投資コラム マンション投資の鉄人
マンション投資の鉄人
第八の鉄人 | 東京都目黒区 T.S(公務員) | |
実録体験談―私のマンション投資暦 |
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"私は北海道出身の公務員です。30歳の時、岡山へ転勤、その8年後に東京に来てから現在まで十年余りとなります。 新聞広告持参でアパマンプラザへ" アパマンさんとお付き合いするきっかけは、昨年1月に拝見した新聞の折り込み広告でした。ある東京の不動産業者の誠意の無さから不快な思いをしたので、もうマンションの賃貸をする気は無かったのですが、根が好きなものですから、ついつい好奇心で東京事務所まで訪ねて行ってしまいました。応対してくださった種田さんは、私の質問に実に的確に答え、その合間に次々とかかってくる電話にも、こちらがじれったくなるほど親切、邸内に説明をされていました。彼の態度に感心し、ますますアパマンさんへの興味をかき立てられた私は、翌週の週末にはもう、札幌行きの飛行機に乗っておりました。(行動と決断が早いのが私の取り柄です。最大の弱点でもありますが・・・。) 車を諦らめ山林購入" 私が初めて不動産というものに関わりを持ったのは、昭和45年、まだ20代の頃でした。免許取りたての時、友人の車で初めて路上に出たところ、10メートルも行かないうちに電信柱にぶつけてしまい、それ以来すっかり運転に自信を無くしてしまいました。(ブレーキを踏む替わりにハンドルを必死になって引っ張る癖があるんです。飛行機なら向いているのかもしれません!?)自動車を購入するつもりで貯金をしていたのです、仕方なく諦らめて替わりに何か形に残るものをと購入したのが、札幌の山林200坪(当時の車と同じ50万円)でした。私に運動神経がなかったために、人より少し早く不動産投資のスタートが切れたわけです。 岡山へ転勤" 岡山に移ってからは、家賃の安い公務員住宅に入りました。しかし、不動産投資の魅力にとりつかれはじめていた私は、すぐに職場付近の不動産状況を調べ、半年後には賃貸に出していた元の家を売却し、(売却代金は400万円。母が200万円で購入し、14年間住み続けていた家でした。)マンションを2戸購入しました。同じタイプの東南の角部屋3DKで1戸は現金で母名義、もう1戸は勤務先で住宅ローンを組んだ私名義で、各々550万円でした。 "融資の基準は信用、日頃の挨拶も大切"" すぐに計画を変更する気にもなれず、だめで元々と、私は次に地元の相互銀行に出向きました。すると出てこられた融資担当者は、なんと顔見知りの人でした。毎朝の出勤時に同じ場所ですれ違うため、2ヶ月目に思い切ってこちらから「おはようございます!」と声を掛け(初めはびっくりされていたようでした。)それから毎朝、お互いに時候の挨拶程度を繰り返していただけの間柄でした。ところが結局その事が決め手となって、私は融資を受けることができたのです。その担当者は次のようなことを言ってくれました。「銀行がお金を融資する基準は、信用できる人かどうかです。いくら担保物件があってもそれは単なる物にすぎず、これから先どうなるか分かりません。Tさんは毎朝決まった時間に出勤されてましたね。あまりに明るく元気なので商店街の女将さんかな?と想像したりしていましたが、公務員さんとは思いませんでした。毎朝私を1日爽やかな気分にしてくれた貴方の挨拶は貴方の人柄を物語りそれだけで貴方の信用であり、財産なんですよ。」 |
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